1982年以前からあるお店へのインタビュー
第1弾:甲南そば、灘寿司編
美しい街岡本協議会が発足した年、1982年以前からあるお店へのインタビューを、夏号に引き続き行いました。
夏号では、幹事がインタビューに不慣れだったこともあり練習の「第0弾」として幹事の父親にインタビューを行いましたが、今回から本番に突入します!
今後も引き続き、右記のお店の中から順番にインタビューに伺っていく予定です。今の岡本の街をつくっている、岡本の昔も今も見てきたお店の皆様から、岡本の良さ、岡本での商売のこだわり、岡本のまちづくりについてなどお聞きしていきたいと思います。
次号からもぜひお楽しみに!
まち協が発足した1982年以前からあるお店 ※古い住宅地図で確認
厚味歯科、雨宮歯科、安政堂、植田商店、岡本郵便局、カフェ ド フェロー、カフェ ド ユニーク、クニヒロダンススタジオ、ケルン、甲南土地建物、甲南そば、コープ、サロンド岡本、摂津写真、ダイエー、ドンク、灘寿司、西崎眼科、二楽園、のぶかわ不動産、ハンドインハンド、ビービーショップ、光の園幼稚園、フロイン堂、みなと銀行、本山土地、本山幼稚園、リュリュ、ワインショップヤマムラ…(五十音順) 合計29軒
■ 変わらない繋がりがあるまち 味憩い 甲南そば/松澤一慶さん
岡本でお店を始めたきっかけ
集団就職で岡本に住むことになった祖父が最初に牛乳屋(ミルクホール)を始め、その後父が蕎麦屋を開店しました。飲食業は完全に素人だった父ですが、当時岡本にあった寿司屋の明石屋さんに出汁の取り方を教えてもらったと聞いています。
ずばり、お店のこだわりは?
自分流に変えることはあえてしない、仕入れ先の都合などで材料が変わったりはあるけれど、できるだけ昔からの味でやっていこうとしています。
うちの店は、子どもの頃からずっと通っていただいているお客さんもいるし、学生の頃に通っていて数十年ぶりに来店したという方も来られます。変わらない「思い出の味」を期待していただいていると感じています。
岡本の看板のルールについて
「素敵な看板」と一言で言っても、見る人によって好みや感じ方が違うし、良い悪いを決めるのは難しいことだと思います。ただ「岡本の街でこれはやめてよ」と住民なら皆が思うような看板もあるので、そのために、ルールで線引きすることは有効だと思います。看板のルールがあったほうがいいか、なくてもよかったか、と聞かれたら絶対にあったほうがいい。
まち協の活動があまり知られていないのは、今の岡本が平和だからです。本当におかしな看板が出てきたら、皆が関心を持って集まってくると思います。
繋がりを大切に
新しい住民も増えて、何かあった時に意見を言う人が減ってきているというのもあるかもしれません。塾等が増えているのは、高級住宅街として若い層に人気だからであり、岡本の良さという見方もできます。また、岡本に限らず人の繋がりが希薄になってきていますが、それも時代の流れだと済ませてしまっていいのでしょうか。私達古いお店同士の繋がりは今もしっかり残っています。ご近所付き合いや地域のコミュニティの一助になるような動きは私達の役目だと感じています。
■ 優しい人々が根付くまち 灘寿司 上野好宏さん
岡本でお店を始めたきっかけ
父は就職で香川から出てきた後、転職し尼崎の寿司屋で勤めるようになりました。その後独立し岡本で自分の寿司屋を開店したのがきっかけだと聞いています。私は大学卒業後一度就職しましたが、約28年前に父を手伝うようになり今に至ります。
創業の場所は学生が多い街を狙っていて、岡本はもちろん六甲や阪大前も視野に入れていました。そんな中、今の場所に移転する前のフェスティバル通りの店舗の先約の借主が急にキャンセルされたこと、また岡本が魅力的な街であったことから、契約に至ったと聞いています。
28年前、灘寿司で寿司を握るようになった頃の岡本
当時は道路に側溝があったけど、石畳になることで蓋がされて道が広くなり歩きやすくなりました。
お店で言うと、雑貨屋さんやケーキ店が多かったかな。ダイエーも長く営業されていますよね。
お寿司屋さんも多かったです。うちと同じようなカウンタースタイルのお店も回転寿司屋さんもあり競合していたので、常連さんの獲得に力を入れていて、数軒あった雀荘にもよく出前をしていました。
当時、甲南山手駅ができたことで岡本商店街に来るお客さんが減ったのですが、同時期に岡本駅に特急が停まるようになったことは、岡本商店街にとっても嬉しいことだったと覚えています。
岡本ってこんなまち
岡本は「優しい人が多い」「まちに人が根付いている」と思います。いつも、地元の方がお寿司を食べに来てくれています。
電気屋さん、本屋さん、飲食店etc…なんでもバランスよく出店してほしいです。個人的には、大きな百均の出店を希望します!