クニヒロビル、岡本郵便局編
まち協発足の1982年以前からあるお店に順次インタビューに伺っています。今回は住民でありオーナーでもある國弘さんと田畑さんに岡本の街や住民のイメージ、まちづくりなどについてお聞きしました。
時代ごとに変わる岡本らしさ
クニヒロビル(クニヒロダンススタジオ)/ 國弘 一さん
國弘家と岡本
岡本に来たのは先々代からで、ダンススタジオは70数年前に岡本1丁目6(現在の岡本マンションの場所)で父が創業しました。65年前、昭和34年に今の場所へ移転し、31年前にビルに建て替え現在に至ります。現在ダンススタジオは弟夫婦が経営しており、私は大学器械体操部の監督や体操教室の経営をしています。
982年頃と今、リアルな岡本
1982年頃は大阪の大学に通っており、その後就職し岡本に住んでいても街で過ごす時間は少なかったのですが、覚えているのはケーキ屋、パン屋、美容室や飲食店が多く、どれもほぼ個人店だったことでしょうか。
今の岡本は個人店が少なくなりました。塾、不動産、接骨院が増え、同業種が軒を連ねている状況もあります。賃料の高さが一因だと思いますが、オーナーとしては高いに越したことはないという気持ちも分かるので難しい所です。バランスよく色々な業種ができれば良いなと思います。希望としては、中華料理店やファミレスなど、住民が家族で行ける飲食店が増えたら嬉しいです。
岡本の看板のルールについて
真っ赤などの原色は岡本に合わないので規制があって良かったです。ですが少し厳しすぎる感じもあり、デザインが良ければある程度のルール緩和があってもいいのではないかと個人的には思います。
昔からの住民と新しい住民とでは、岡本に抱くイメージにギャップがあると思います。時代ごとの岡本らしさ、岡本のイメージに合わせてルールを変えていくことも必要ではないでしょうか。
クオリティの高い仕事、お店、人
神戸岡本郵便局/田畑 英樹さん
田畑家と岡本郵便局
母から聞いた話では、昔は天上川沿いに郵便局があり、私の祖父が局長となった時に今の場所に移したようです。現在の郵便局の建物は私が大学生だった頃に建て替えていて、それまでは1階が局で2階は自宅でした。祖父の後は父が局長、その後平成9年、私が34歳の時に局長になり、去年の春に退任しました。
岡本郵便局の誇り!
私が局長だった時は、受付で必要な確認を省かない等、きちんと対応するよう職員に指導していました。悪く言えば融通が利かない局だったかもしれませんが、岡本のお客様には「岡本郵便局はきっちり仕事してくれる」と信頼の声をいただけていました。
うちの局は職員が長続きすることも特徴です。民営化後は一人も辞めていません。皆仕事に誇りを持って取り組み、岡本の皆様がそれを評価してくれたからだと思います。窓口の担当者が変わらないことも、お客様からの信頼に繋がったのではと思います。
住みたい街だった岡本
道路が石畳に変わり石畳の街として取り上げられていた頃が、1番よかった、住みたい街だったと思います。その頃から今も変わらず学生が集まる街で、ゴミが落ちていない綺麗な街です。ただ、今は固定資産税や家賃が高くなったこともあり、住みにくくなったと感じます。地の人も少なくなってきています。
こんな岡本になってほしい
訪れたくなる街であってほしいです。岡本には凄い名勝地はなく、強いて言えば梅林公園くらいで、行ってみたいと思わせる強い要素があまりないと思います。なので、わざわざ岡本に行きたいと思うような、人が集まるお店が増えてほしいです。
最近はチェーン店が増え、わざわざ岡本を訪れる理由が薄れてきました。例えばハンドインハンドやフロイン堂を目当てに岡本に行くという方はいると思うので、そんなクオリティの高い個人店が増えたらいいなと思います。
まち協の活動が、街を守っている
一住民として、岡本には町内会も自治会もないので、まち協がその役割を一部担ってくれていて良かったと思っています。それに、地区計画や看板のルールを作ったことには絶対に意味があると思います。知っている人が見ないとわからないレベルかもしれまませんが、最悪の場合のストッパーには必ずなっています。今後も頑張ってください!