1982年以前からあるお店へのインタビュー(4) 植田商店編
植田商店編
まち協発足の1982年以前からあるお店へのインタビューを順次実施しています。今回は植田商店のお話好きなお母さんに、幹事はビール片手にお話を聞かせていただきました。
街の清掃や花壇管理等、美しい街岡本を体現されているようなお方です。幹事としても非常に有意義なお話を伺うことができましたので、ぜひご一読ください。
変わりながら続いていく街 植田商店/中村 悦子さん
創業114年、四代に渡り見てきた岡本
うちの店はこの土地で創業して2011年に100周年を迎え、今年で114年になります。私の夫が3代目、今年63歳の息子が4代目です。私は昭和36年、64年前にこの店にお嫁に来ました。
祖母から聞いた話では、初代は運送業を営んでいたそうです。阪急電鉄が線路を建設する時に、線路の枕木を植田運送が運んでいたと聞いております。その当時は岡本梅林公園から海が一望できて、梅の季節には梅の花と軍艦が集まる観艦式を一目見ようと多くの人が岡本に集まったそうです。地元民は茣蓙の貸し出しやおにぎりの販売などをして賑わっていたそうです。
岡本駅前は、今の改札口の場所にお寿司の明石屋、和菓子の安政堂、足立さんの散髪屋、回転焼を売るユニークがあり、現在コープがある場所には屋台のような魚屋や八百屋が出店していました。うちでもお米、ガラス、燃料、氷など色々販売していました。
店同士の付き合いが深くて仲良しだった
40年前はちょうど岡本商店街ができる頃でしたね。初代商店街振興組合理事長の青峰(中華料理店)の藤井さん、二代目理事長の二楽園の奥谷さんの名前の出資金の領収書が今でもうちにあります。うちの主人も理事長をしていたことがあります。
その頃は商店街の店主同士の仲がとても良くて、ゴルフコンペなどを度々企画して行っていました。
街は地域で守り、つないでいく
店の前に花壇がありますが、元々は二楽園さんが管理されていました。店の前が駐車場になる時に花壇がなくなる話がありましたが商店街さんのご厚意で残せることになり、それからは管理を私に任せていただいています。私が毎朝、店の前の掃除と一緒に花壇の水やりをしています。そのあとは犬の散歩に行き、立ち飲みの方に出すおつまみやおでんなどを作っています。花壇の中にあるベンチには防災具が入っていて、鍵はうちが預かっています。
人と店が変わっても続けていること
今は、昔から街におられた方が居なくなり、住んでいる人が変わったなと感じます。昔、うちの店の北側には大会社の社長さんや大病院の医院長さんが沢山住まれていました。
配達に行くとその家の奥様がお手伝いの方に「こいさん!お支払いお願いね!」と言われていたのを思いだします。「こいさん」とは大阪の船場の商家の間で使われていた船場言葉で、親しみを込めて末娘を呼ぶ時の呼び方です。
正月2日の初荷の日、主人が配達で訪問したあるお宅では、屏風の前で奥様が紋付羽織の着物をお召しになり、訪問されるお客様1人1人に御神酒をお出しし、お年玉を渡しておられました。うちの主人もお年玉を頂き、また沢山の注文を頂きました。その名残りで、今でも初荷の1月2日の午前中は、誰もこられませんがお店を開けております!
今の岡本はお店も変わって、和食や町中華のお店がなくなりましたね。飲食店が増えると嬉しいです。

