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阪神・淡路大震災から20年 「これから」を考える

2015/03/10

 山手幹線平成27年1月17日、阪神・淡路大震災から20年が経ちました。戦後初めての都市直下型地震、甚大な被害、復興の道のり、経験から得た教訓、多くのメディアが特集を組むなどして、震災を伝えています。
 本紙では、「あれから20年、そして、これから…」と題して、地域の皆さんから寄稿いただきました。震災から20年が経過した今だからこそ、「これから」について考えたいと思います。

■ あの日から20年                田畑英樹

次女が今年、成人式をむかえた。
20年の歳月は赤ん坊をも成人にする。まだハイハイもできない彼女はあの地震の朝もいつもと同じようにミルクを飲んでいた。
私たち家族4人は、ほぼ布団の上で1日目を過ごした。ガラスの水槽が壊れて水を含んだじゅうたんの居間と、食器棚が倒れて割れたガラスや陶器のかけらで足の踏み場もないキッチン。歩きたくてしかたのない3歳の長女をだっこしながら、建物の中を見回った。やがて、家の前の道路から通行人の声がしてくる。
ラジオで淡路・神戸で巨大地震が発生したことを知る。あの時の「ドーン、ドーン」という音が阪神高速道路の倒壊していく音だとあとでわかり、背筋が冷たくなる。
ライフラインはすべて使えない。電車が動かないので、仕事にも行けない。さて、どうしたものか。
日が暮れると、当たり前だが暗くなる。太古の時代の人々は太陽の下で生活をしていた。陽が昇れば起き、陽が沈めば眠る。そんな原始的な生活をしばらく過ごさなければいけないのか。そんなとき、わが子の名前に思いを巡らせた。「いろどり」の意味や彩という字が好きで、長女には「早彩(さあや)」と付けた。そして、いろどりを輝かせるにはやはり光が必要である。次女には、ひかりのイメージから、「明莉(あかり)」と名付けた。あかりがあるだけで、その周りは暖かくなる。
「わが家には、『あかり』があってよかったね。」夫婦で話をしながら過ごした夜。真っ暗な夜の闇の中で、わが家の「あかり」は何事もなかったように眠っていた。
あれから20年。ひとりで大きくなったような顔をして、今日も「明莉」は出かけている。

 


■ これから・・・    甲南大学法学部法学科四年 島尾美波

私は今年で22歳を迎える大学4年生です。阪神淡路大震災が起こった当時は1歳で、神戸に住み始めたのは3歳の頃で、震災の記憶はほとんどありません。しかし、覚えていなくても両親や祖母から震災の話を聞いたことがあります。
父方の祖父母が神戸の北区に住んでおり、震災後は物資が届かずベビー用品が不足していたので、母はバスタオル、オムツや子供服を祖父母の元へ送っていました。
また神戸にいた祖父母は大きな揺れを感じた後、お風呂やペットボトルいっぱいに水を貯め、蛇口から水が出なくなってからは近所の方にそれを分けて水不足をしのいだと聞きました。
こういった震災の経験はこれから起こり得る災害の被害を減らすためにも語り継がれていくべきだと思います。私より2年後に産まれた子供たちは震災後に産まれた世代です。きっと私以上に震災を遠く昔の出来事だと感じているでしょう。そういった世代の子供たちに震災の経験を伝えることが震災後20年経った今だからこそ求められていると思います。


■ 復興への思いが詰まった石畳の道      岡本商店街振興組合 斉藤豊次郎
あれは、夜明け前のことでしたね。当時生まれた子供達は20歳。よくぞ無事で育ったものと今年の成人式の報道に見いっていました。
当時、岡本商店街振興組合(以下「組合」)の理事達は、何が、商店街やまちの復興につながるか考えました。岡本商店街は、アーケードがなく、エリアも広がっています。皆で一緒に乗り越えたい、共通の何かがほしいと思いました。日夜協議を重ね、地域一体となり今の石畳の道が出来ました。
舗装工事に合わせて、安全に通ることが出来るよう、電柱を側溝の上に移設させてもらうことで道幅を広げることを起案、沿道の住宅や店舗の協力を得て実現できました。舗装は、どの素材が堅牢で岡本の街にふさわしいか試行錯誤を繰り返し、桜御影石を選びました。色々な課題をクリアしながら、「子、孫につないでいける道を」という思いを胸に工事にとりかかり、検討から三年の月日を要し、一九九九年三月に完成しました。
今では「石畳の街」として全国に発信し、組合主催のイベントも数多く、全国の商店街から見学に来られるなど、成長してきています。この20年で最も復興した街として自負してもよいのではないかと思っているところです。



■ 昨日、今日、明日                小田敏夫 
平成六年の初夏から、神戸で合氣道を教えるようになった。その年の暮れ、十二月十七日に西岡本に住み始め、ちょうど一か月後、震災に遭った。
子供の頃から大好きだった神戸に、やっと住めるようになった途端、その街が破壊されるのを、身をもって体験するとは・・・・・・
それでも神戸の街の復興と共に頑張ろうと心に決めて、ここまでやって来ることができた。私にとって神戸復興の二十年は、そのまま神戸生活の歳月であった。
震災の年の晩秋には、それまで所属していた大きな団体を出て、自分一人で合氣道塾を始めることにもなった。だからこの二十年は、私が真に自立するために要した時間でもある。
神戸での合氣道の実績もなく、無一文同然だったけれど、前に進んで行こうという、がむしゃらな若さがあった。そして、そんな私を多くの人達が支えてくださった。その人たちのおかげで、今の私が在る。
今年は、大きな節目の年である。
次の時代の日本と世界を担う子供達を、この街で、もっともっと沢山育てていきたい
「がんばろう神戸」
その言葉を、今再び思い出す。新たな氣を出して、私は一所懸命に生きていく。

美しい街であり続けるために 2014年10月~12月

2015/03/10

※10~12月の事前協議案件は9件でした。

①ソフトバンク→南面と西面に壁面広告および窓面広告を掲出する計画が提案された。西側壁面広告が5㎡を超えている他、ガラス面に「Soft Bank」の文字が繰り返し表示されるなど、ルールに適合しない旨を説明。西側壁面広告を5㎡以下に変更、西側窓面広告の繰り返し表示取り止め。

②アサヒ薬局→切り文字の壁面広告と窓面広告の掲出計画。切り文字の大きさとルールに適合するよう修正。ロゴマークについては、25cm四方より少し大きく表示されることを承認した。(当時、神戸市関係部局と当協議会で神戸市景観計画に位置付けるルール内容の精査を行っており、文字の大きさは制限するが、ロゴマークの大きさの制限を設けるかどうかについては、審議中であった)

③ハウスメイト→図面とチェックリストは提出されたが、内容が整っていない(広告物の大きさや文字の大きさ等計画内容がわからない)ため、計画内容を正確に示した図面とチェックリストを再提出いただくよう要請。前入居テナントが設置した既存壁面広告を利用したいとの意向申し入れがあったが、当該壁面広告は、道路に面しない壁面に設置されており、ルール案に適合しない旨を説明。

④マサニビル→テナント集合看板設置について相談があり、ルール内容について説明。現在、2・3階のテナントが階段入口付近に各々自由に掲出している壁面広告及び置き看板について、今回の集合看板新設の機会に、ビルオーナーとして整理・調整することができないか検討いただくようお願いした。

⑤コープこうべ岡本→建物本体の協議の際に広告物についての協議も行っていたが、改めて広告物掲出にかかる申請書類の提出と、一部計画変更について報告を受けた。建物壁面の色を部分的に少し明るい色に変更。線路に面する壁面に設置された壁面広告の大きさを縮小。

⑥三和ホーム(事前協議が行われないまま8 月末頃オープン済)→道路占用の問題として、低い位置から歩道上に突き出た照明が違法であり、非常に危険であることから、事前協議を要請。まち協の活動、まちづくり協定、事前協議制度等について説明。少なくとも歩道上に突き出た照明の設置位置を変更するよう要請した。

⑦あんどう皮膚科→電柱利用広告掲出について事前協議の申し入れがあった。電柱地利用広告は「自家用広告」でないため、設置できない旨を説明。

⑧マンション(近隣住民への説明・内容について事前説明)→特に問題なし

⑨一般住宅(建替え)→特に問題なし

協議が必要な行為
岡本はきれいな街、自慢の街です。岡本が岡本らしく美しい街であり続けるために、平成26年5月の総会にて承認された「岡本版・屋外広告物ルール&ガイドライン」をもとに、事前協議を行っていきます。ルール&ガイドラインに沿った看板を設置いただくために、制度運用体制やサポート体制を整えています。屋外広告物を設置する際は、当協議会へご相談ください。



私たち、暮らしの中心が岡本です
季刊報 美しい街岡本は、『美しい街岡本協議会』が3ヶ月に1回発行するものです。 『美しい街岡本協議会』は、美しいまちなみや豊かな自然に溢れ、清潔で安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域住民と地域で働いている人達で、活動しています。