地域と共に

コープ岡本 店長 寺西暢一さん

 

コープ岡本 「生活協同組合コープこうべ」の前身は、大正十年(一九二一年)、「生協の父」賀川豊彦氏の尽力により、「愛と協同」の精神のもと、日本初の市民による生活協同組合として誕生した「神戸購買組合」と「灘購買組合」です。
後に、両組合は「神戸生活協同組合」「灘生活協同組合」に名称を変更、合併を経て、現在に至ります。
コープ岡本は、芦屋、住吉と並び、灘生活協同組合時代からの歴史ある店舗です。昭和三十四年(一九五九年)の開業以来、地域の生活とともにあったコープ岡本が、全面建替え工事を終え、一年七か月振りに新装開店しました。
美しく、より便利になった店舗に、新店長の寺西暢一さんを、お訪ねしました。

 

■ コープ岡本の沿革と新店舗への思い

小田 「この日を待っていました」
寺西 「ありがとうございます。地域のみなさまには、長い間ご不便をおかけしましたが、今後は、これまで以上に岡本らしく、みなさまにお買物を楽しんでいただける店になるよう、努めてまいります」
小田 「コープ岡本の沿革など、お話しください」
寺西 「コープ岡本は、昭和三十四年、現店舗の南東側の一角に「くみあいマーケット」として開店して、昭和三十 六年(一九六一年)には、セルフ式のスーパーになりました。
昭和四十五年(一九七〇年)、二期棟をオープンして、旧店の原型が出来上がりましたが、一期棟のオープン以来、五十数年が経ち、老朽化もすすんでまいりましたので、今回の全面建替えとなりました」
小田 「新店舗への思いをお聞かせください」
寺西 「まず第一に、お客様にとって買物が楽しくなければならない。ということですね。毎日の買物がストレスになってはいけないと思うのです。そのためには、まず良い商品が揃っていること。そして良いスタッフが揃っていることです」
■ 岡本の地域性を考えて

小田 「旧店舗と較べて、具体的にはどういうところが変わったのでしょう」
寺西 「設備の面で大きく変わったのは、従来無かったエレベーターやエスカレーターを設置したことです。高齢の方や子ども連れの方にも、安心してご来店いただけるようになりました」
小田 「地域の高齢化もあり、また文教地区ということで、若い家族も多いですからね」
寺西 「岡本ならではの地域性をいろいろ考えています。
小さなお子さんも乗せられる買物用のカートは、お母さんとの対面式でリクライニングシートになっています。
また、駅前であること、学生さんの需要も多いことから、一階はお弁当、飲料などコンビニエンスストア的な展開をしています。生鮮食品や料理材料などは、二階でゆっくりと選んでいただけるようにして、店舗全体で食品関係の品揃えを充実させました。高品質なものへのニーズにも、充分お応えできると思います。
それと、岡本の狭い道路事情を考えまして、商品搬入車両も岡本専用に、小型のものを導入しました。店舗脇道路の通行の妨げにはならないよう、駐輪スペースも確保しています」

■ 屋外広告物への配慮

小田 「岡本の北の玄関口にふさわしい、美しく立派な建物を建てていただきましたが、今回の建て替えに際しては、看板等の屋外広告物についてもご配慮いただきました。地域の人達からの評判も良いですよ」
寺西 「まち協さんとの事前協議を通じて、岡本を愛するみなさまの氣持ちや、この街をより美しくしていこうという氣概に触れまして、できるだけの協力をさせていただきました。建物上部に設置した大きい方のCO-OPのロゴマークも、通りからは、あまり目立たないと思います」
小田 「そうですね。でも遠くからはパッとわかるんですよ。最近は、岡本にも背の高いマンションが増えて、私の家からも玄関を開けるとすぐに見えます」
寺西 「そうですか(笑)」
小田 「おかげさまで、最近は大企業でも、岡本では派手なコーポレートカラーは使わないでくださるところが増えました。コープ岡本さんのご協力も美しい街づくりへの大きな実例となり、心強く思っています。
今日はおいそがしいなか、ありがとうございました」
寺西 「こちらこそ、ありがとうございました」
(構成・文 小田敏夫)

コープ岡本 寺西さんコープ岡本 店長 寺西暢一さん

寺西さんは、これまでずっと阪急沿線の居住環境の良好な住宅地の店舗で、お仕事をされてきました。
コープ岡本がどんなお店になるのか、新店舗の開店で仕事帰りに改札を出る楽しみが増えました。

 

びっくり仰天!
それは、今の岡本の黎明期だったのかもしれません。
今から五十余年前、同級生の食料品屋さんが、ある日突然「灘生活協同組合」というスーパーに変身!(今のコープ)
当時、コンビニはもちろん、このまちにはスーパーのスの字もありません。それまでは、市場が唯一の台所でした。
一つの売り場に全ての食料品が揃い、お勘定は一カ所でする。店内はとても明るく買い物籠も持って行かなくてもいい。
市場で、卵を買っていた時には、割れないように新聞紙で包んでもらっていたのに、キレイなプラスティックの容器に十個並んで入っているものを見てびっくり仰天したのを覚えています。わが家では急に卵の消費量が増えました。
その上、昔ながらの御用聞きのシステムもあり、「組合さん」という愛称(?)で、あっと言う間にこのまちを席捲しました。子どもにとっても凄いカルチャーショックでした。急に岡本が「お洒落なまち」に変身しました。
それから、しばらくして、大林組の社宅跡地に主婦の店「ダイエー」ができて、三ノ宮みたい! と思ったり。また、跡地の半分には、今までになかった2階建の大きな建物が建ちました。「七福相互銀行」、今の「みなと銀行」です。
人々の生活の根っこができ、「組合さん」ができ、あの頃、岡本は、確実に急速に「街」らしくなってきました。
(岡本1丁目・ 橋谷惟子)

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季刊報 美しい街岡本は、『美しい街岡本協議会』が3ヶ月に1回発行するものです。 『美しい街岡本協議会』は、美しいまちなみや豊かな自然に溢れ、清潔で安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域住民と地域で働いている人達で、活動しています。