‘このひとに会いたい、聞きたい’ カテゴリーのアーカイブ

時代とともに 御菓子司 安政堂菓舗 中西政子さん 中西政秀さん

2017/04/10

安政堂1いよいよ開港百五十年を迎える神戸港、そのミナト神戸よりも古い歴史を持つ和菓子舗が、この岡本にあるのを御存知ですか。
関西屈指の高級住宅地として、また若者の集まるオシャレな街として、近年益々注目される岡本ですが、こんな老舗があるんです。
和菓子の安政堂で、中西政子さん、政秀さんの御姉弟に、お話を伺いました。

-創業安政元年(一八五四年)ということは、今年で百六十三年の歴史ですね。
政子「和菓子屋としてはね。それ以前は、北畑で素麺を作ってたのよ。この辺りは昔、素麺作りが盛んで、住吉川にも、小麦を碾く水車が沢山残ってました」

-へえ、全く知りませんでした。
政秀「昔、岡本は梅の名所で、梅の花の時期になると、近在の農家の人達が茶店を出して、梅見の客に茶菓を供してたんです」
政子「その頃、うちで売り始めたのが、今でも安政堂の名物、うぐいす餅。創業以来のお菓子です。江戸時代には、饅頭や餅だけやのうて梅肉エキスなんかも、魚崎の港から、江戸に出荷しとったのよ」

-なんか現代風ですね。一体、どういう経緯ですか。
政秀「梅林があるから梅が採れます。先祖は菓子だけではあれやと、梅を使った商品を考えたようです。当時、うちは灘の酒蔵と取引があったんです。灘の酒を江戸まで運ぶ船に、商品を便乗させてもらったみたいですね。
梅肉エキスもそうですが、梅干しも、ただ売るだけじゃなく、九谷焼の容れ物に詰めて高級感出したりとか……」

安政堂2-御先祖は、マーケティングに長けてらしたというか、進取の氣性がおありだったようですね。
政秀「そうですね。今の私らより、ずっとビジネスセンスがあったかも知れません。元々、この辺りの人達は、いろんな意味で氣概があったと思います」

-本山第一小学校も摂津本山駅も、地元の人達の尽力で出来たものです。
政秀「自立自助の精神、公の精神が強かったのでしょうね。保久良神社の『灘の一ツ火』も、北畑の人達が、毎日交替で山に登って灯していたんですよ。私の祖父も行ってました」

-昔はあの明かりで、夜、船が航行していた、言わば灯台ですからね。今とはずいぶん人間の氣持ちが違いますね。
政秀「明治になってからも、酒蔵には贔屓にしてもらいました。毎日のように注文を受けては、北畑から歩いて菓子を届けていたんですよ。大正時代には、魚崎の、今の櫻正宗さんの辺りに店を出しました。
阪急神戸線が開通すると、宅地も増え、大きな梅林は無くなったんですが、阪急さんからの誘いで、岡本駅に売店を出しました。私らは『電車場の店』と呼んでましたけど、今、自動券売機の並んでるところです。隣には明石屋さんもありました」

-今の店(岡本一丁目)には、いつ移られたんですか。
政秀「戦後です。終戦の三日後に米軍の爆撃機が焼夷弾三発を北畑に落として、店が焼けたんです。それで移りました。」

-終戦後に焼夷弾。非道い話だ。
政秀「職人さんを雇ったり、アルバイトの学生さん達がいて賑やかなときもありましたが、昭和四十年に魚崎の店を閉め、今は姉と二人、岡本と御影でやっています」
政子「店は小そうなったけど、こうして生きていけるのも、岡本の地の神様が、ここでやっていけと言うてくれてはるのかなあと思うのよ」

-耳には聞こえない声を感じることは確かにありますよね。私も、岡本には呼ばれてきたという思いがあります。
政子「そうでしょう」

-ええ、本当に。ところで、お菓子はどこで作ってはるんですか。
政子「岡本と御影で、弟が作ってます」
政秀「竈を使って昔ながらの製法で作ってます。保存料やら使ってないので、その日に作ったものをその日に売るかたちです。広く大きくはできませんが、これでええと思うんです。
それと、関西で和菓子と言えば、まず京風ですけど、うちは昔から、今でもずっと江戸風なんですよ。魚崎の港から海路で江戸と繋がっていたからですね。職人さんも江戸から呼んだりしていました」

安政堂3-港と海で遠くの土地と繋がっているというのは、神戸らしいですね。それでは、安政堂さんにとって、岡本とは。
政子「いろんな人が岡本の名前に引かれて店を出すけど、いつの間にか、いなくなる。確かに商売の難しい所やけど、目先の儲けだけじゃなく、もっと街のことを考えて商売してほしいと思うのよ。大学生も毎年入って来て賑やかやけど、四年でいなくなる。出合いと別れの街やわね。そやけど、昔アルバイトしてた子が、『おばちゃあん』と言うて来てくれるとうれしい。私達の店も、街の人達に支えられて今日までこれた。本当にありがたいと思うてます。実は、一年前に母を亡くして、本当につらくて何もできへんかった。ちょっとずつでも前を向けるようになったのも、皆さんのおかげです。これからも父を姉弟で支えて、三人で頑張っていこうと思います。今日の取材にも、何かこう勇氣づけられたようで感謝してるのよ」

-こちらこそ、ありがとうございます。 きっとお母様も見守ってくださっていると思いますよ。
政子「ああ、そうそう、うちは古い店やから新聞やテレビの取材も結構あるの。テレビの取材には芸人が来るねんけど、うちに来た芸人は、みな一流になっとんねん。あなたも一流になりはるわ」

-私、芸人じゃないんですけど……
政子「そんな格好(着物に袴)して、誰も普通の人やとは思わへんわ」

-ではまあ、合氣道家の端くれとして、武芸に志す人間ということで……頑張ります。

一人ではとても食べきれないほど、いろんなお菓子をお土産に頂きました。素朴な姿形の饅頭や餅は、どれもたっぷりと重量感があります。なるほどこれが江戸風かと。柔らかなお菓子ですが、質実剛健という言葉が心に浮かびました。本当においしかったです。ありがとうございました。
(構成・文 小田敏夫)
御菓子司 安政堂菓舗
中西政雄さん 87
政子さん 62
政秀さん 60

これからもずっと岡本で 落語家 桂南光 さん

2016/12/01

岡本の秋のお楽しみ、桂南光古典落語会が、今年で十回を数えます。この節目の機会に、桂南光さんから、いろいろお話を伺うことにしました。
インタビューの場所は、南光さんが懇意にされている、とある古美術店。文化の香り漂う中で、和やかなひとときを過ごしてきました。

桂南光さん高座岡本の落語会 

 (インタビュアー) 今日は、ラジオのお仕事の後だそうで、おいそがしい中を、ありがとうございます。
(桂南光さん) 「どうぞよろしく」
早速ですが、岡本での落語会が始まったきっかけなど、お聞かせくださいますか。
「長年お付き合いを頂いている、この店のオーナー、廣岡さんが、岡本にお住まいという御縁です。阪神・淡路大震災後、復興していく地域を応援していこうという主旨で始まったんです」
岡本では、高座の設置も一門の皆様でやって頂き、手作りの会といった感じです。奥様も、裏方で会を支えてくださっています。内助の功と言いますか、僕はまだ一人なんですが、やっぱり結婚せなあきませんかね。
「いやいや。結婚なんて、するもんやありまへんで(笑)」
失礼を承知でお尋ねするんですが、関西では、落語家の人達は、テレビのバラエティーばかりやってるように思えます。あの人達が落語をすることは、少ないんですか。
「そんなことは、ありません。みんな、いろいろな場所でやってます。私ら、
呼ばれたら、どこでも行きますよ。以前、京都のお家に呼ばれて、そこで話したこともあります」
個人のお宅で……それはぜいたくな会ですねえ。さぞや立派なお屋敷だったんでしょうね。ところで、岡本の会場は、いかがですか。
「岡本は、いいですねえ。岡本公会堂くらいの大きさで、マイクなしで、後ろのお客さんまで、全員に声が届くのがいいです」
 マイクなしが、いいんですか。
「それはもう、マイクなしがいいです」
 正にライブですね。
「岡本の人は、反応がすごく良くて、前座から盛り上げてくれます。そういう空氣が、若い噺家の意欲をかきたてて、
彼等を成長させてくれるんですね」

南光さんと岡本

  落語会のチケットは、いつも前売りで完売です。おじいさんが、孫の手を引いて来場されたり、世代を超えて大人氣なんですよ。
「うれしいですね。岡本は、本当に喋りやすいんですよ。非常に、文化的レベルの高いところだと思います。聴いてくださる方の感性が高いと、こちらも触発されますね」
ありがとうございます。文化的レベルということですが、街の印象でいうと、具体的には、どんなことでしょう。 
「たたずまいの良い家や店が多いですね。私はコーヒーが好きで、自分でも豆を挽いて飲むんですが、岡本には、
おいしいコーヒーを出す店があったり、ワインの旨い、雰囲氣の良い店もあります。そういうところにも、街の人達のセンスが表われていると思います」
 美しい街づくりに長年取り組んできた私達には、何ともうれしい御言葉です。
「それから、私、カレーが好きなんですけど、何年か前、私の好きな大阪の店のカレーで、カレーパンを作ろうという企画のテレビ番組があって、岡本のドンクさんに、お世話になりました」
  あ、そのテレビ観ました!
「ところが、私の好きなカレーが、シャバシャバのルーで、それをパンに包むのが、大変やったんです。
パン用に、ルーを固めにしよかとなったんですが、カレー屋が、『それは困る』と……ドンクさんが、えらい苦労してくれはって、何とか完成したんですが、これが大評判になりました。けれど、あまりにもコストがかかって、商品としてずっと売っていくことは、できんと。期間限定というので、今はもう売ってません。私も、一個食べたきりですわ」
 (※そう言えば、あの頃、山手幹線の交差点で、派出な衣装を着た南光さんを見掛けたのを、インタビュー後に思い出しました。多分、あのときが、収録日だったんだなァ)
  奥様も甲南大出身ということで、南光さんは岡本に御縁があるんですね。ここに住む者として、何だか身近に感じます。今後も、末永く落語会を続けて頂きたいんですが……
「十年でも二十年でも、生命ある限り、続けさせてもらいますよ(笑)」

 

私の見た南光さん

インタビューにも同席頂いた、廣岡さんの御配慮で、リラックスした雰囲氣の中で、お話が伺えました。
南光さんと廣岡さんのお二人の会話からは、南光さんの、文楽や古書に関する造詣の深さが感じられました。古典芸能に関する豊富な知識や研究が、南光さんの落語に深い奥行を与えていることは間違いありません。
由緒あるお店の中であればこそ、テレビでは観ることのできない、もう一人の南光さんを拝見できた氣がします。
何も知らない素人の、不躾な質問にも、ちゃんと丁寧に答えて頂いたことには、1本当に感激しました。
写真もお好きだというので、図々しくも、私の『作品?』まで見てもらいましたが、さすがに困惑された様子。ごめんなさい。つい調子に乗ってしまいました。当日は、暑い日でしたが、南光さんは、涼し氣なストライプのシャツに、紺色のサマージャケットという出立ち。
白いコットンパンツの足許を、きっちりした作りの茶色の皮靴で締め、白いパナマ帽をひょいと頭にのせた姿は、おお、正に、夏の紳士ではありませんか!
最近では、めったにお目に掛かれない、ダンディズムの見本のようで、カッコ良かったです。
南光さんといえば、お若い頃からとてもオシャレでしたが、『あれは女房の好みですわ』と照れ笑い。『結婚なんて、するもんやおまへんで』と言いながら、夫唱婦随(ファッションでは、婦唱夫随?)
の睦まじさ……すっかりファンになりました。
今年の落語会は、十月三十日(日)です。十回記念の、お楽しみ抽選会もあります。(残念ながら、今年のチケットは、すでに完売となりました。来年は、お早めに。)

(構成・文 小田敏夫)

 

桂南光さん1桂 南光さん プロフィール

昭和二十六年生まれ 大阪府出身
昭和四十五年 桂 小米(故・桂 枝雀)に入門
芸名 桂 べかこ
昭和五十四年 上方お笑い大賞銀賞 受賞
昭和五十六年 朝日上方落語名人選
新人コンクール 優勝
昭和五十七年 日本放送演芸大賞
ホープ賞優秀敢闘賞 受賞
昭和六十一年 咲くやこの花賞 受賞
昭和六十二年 日本放送芸能大賞わだい賞 受賞
平成五年   三代目 桂 南光 襲名
平成六年   上方お笑い大賞 受賞
平成二十四年 大阪府四条畷市観光大使に就任

私たち、暮らしの中心が岡本です
季刊報 美しい街岡本は、『美しい街岡本協議会』が3ヶ月に1回発行するものです。 『美しい街岡本協議会』は、美しいまちなみや豊かな自然に溢れ、清潔で安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域住民と地域で働いている人達で、活動しています。