時代とともに 御菓子司 安政堂菓舗 中西政子さん 中西政秀さん
いよいよ開港百五十年を迎える神戸港、そのミナト神戸よりも古い歴史を持つ和菓子舗が、この岡本にあるのを御存知ですか。
関西屈指の高級住宅地として、また若者の集まるオシャレな街として、近年益々注目される岡本ですが、こんな老舗があるんです。
和菓子の安政堂で、中西政子さん、政秀さんの御姉弟に、お話を伺いました。
-創業安政元年(一八五四年)ということは、今年で百六十三年の歴史ですね。
政子「和菓子屋としてはね。それ以前は、北畑で素麺を作ってたのよ。この辺りは昔、素麺作りが盛んで、住吉川にも、小麦を碾く水車が沢山残ってました」
-へえ、全く知りませんでした。
政秀「昔、岡本は梅の名所で、梅の花の時期になると、近在の農家の人達が茶店を出して、梅見の客に茶菓を供してたんです」
政子「その頃、うちで売り始めたのが、今でも安政堂の名物、うぐいす餅。創業以来のお菓子です。江戸時代には、饅頭や餅だけやのうて梅肉エキスなんかも、魚崎の港から、江戸に出荷しとったのよ」
-なんか現代風ですね。一体、どういう経緯ですか。
政秀「梅林があるから梅が採れます。先祖は菓子だけではあれやと、梅を使った商品を考えたようです。当時、うちは灘の酒蔵と取引があったんです。灘の酒を江戸まで運ぶ船に、商品を便乗させてもらったみたいですね。
梅肉エキスもそうですが、梅干しも、ただ売るだけじゃなく、九谷焼の容れ物に詰めて高級感出したりとか……」
-御先祖は、マーケティングに長けてらしたというか、進取の氣性がおありだったようですね。
政秀「そうですね。今の私らより、ずっとビジネスセンスがあったかも知れません。元々、この辺りの人達は、いろんな意味で氣概があったと思います」
-本山第一小学校も摂津本山駅も、地元の人達の尽力で出来たものです。
政秀「自立自助の精神、公の精神が強かったのでしょうね。保久良神社の『灘の一ツ火』も、北畑の人達が、毎日交替で山に登って灯していたんですよ。私の祖父も行ってました」
-昔はあの明かりで、夜、船が航行していた、言わば灯台ですからね。今とはずいぶん人間の氣持ちが違いますね。
政秀「明治になってからも、酒蔵には贔屓にしてもらいました。毎日のように注文を受けては、北畑から歩いて菓子を届けていたんですよ。大正時代には、魚崎の、今の櫻正宗さんの辺りに店を出しました。
阪急神戸線が開通すると、宅地も増え、大きな梅林は無くなったんですが、阪急さんからの誘いで、岡本駅に売店を出しました。私らは『電車場の店』と呼んでましたけど、今、自動券売機の並んでるところです。隣には明石屋さんもありました」
-今の店(岡本一丁目)には、いつ移られたんですか。
政秀「戦後です。終戦の三日後に米軍の爆撃機が焼夷弾三発を北畑に落として、店が焼けたんです。それで移りました。」
-終戦後に焼夷弾。非道い話だ。
政秀「職人さんを雇ったり、アルバイトの学生さん達がいて賑やかなときもありましたが、昭和四十年に魚崎の店を閉め、今は姉と二人、岡本と御影でやっています」
政子「店は小そうなったけど、こうして生きていけるのも、岡本の地の神様が、ここでやっていけと言うてくれてはるのかなあと思うのよ」
-耳には聞こえない声を感じることは確かにありますよね。私も、岡本には呼ばれてきたという思いがあります。
政子「そうでしょう」
-ええ、本当に。ところで、お菓子はどこで作ってはるんですか。
政子「岡本と御影で、弟が作ってます」
政秀「竈を使って昔ながらの製法で作ってます。保存料やら使ってないので、その日に作ったものをその日に売るかたちです。広く大きくはできませんが、これでええと思うんです。
それと、関西で和菓子と言えば、まず京風ですけど、うちは昔から、今でもずっと江戸風なんですよ。魚崎の港から海路で江戸と繋がっていたからですね。職人さんも江戸から呼んだりしていました」
-港と海で遠くの土地と繋がっているというのは、神戸らしいですね。それでは、安政堂さんにとって、岡本とは。
政子「いろんな人が岡本の名前に引かれて店を出すけど、いつの間にか、いなくなる。確かに商売の難しい所やけど、目先の儲けだけじゃなく、もっと街のことを考えて商売してほしいと思うのよ。大学生も毎年入って来て賑やかやけど、四年でいなくなる。出合いと別れの街やわね。そやけど、昔アルバイトしてた子が、『おばちゃあん』と言うて来てくれるとうれしい。私達の店も、街の人達に支えられて今日までこれた。本当にありがたいと思うてます。実は、一年前に母を亡くして、本当につらくて何もできへんかった。ちょっとずつでも前を向けるようになったのも、皆さんのおかげです。これからも父を姉弟で支えて、三人で頑張っていこうと思います。今日の取材にも、何かこう勇氣づけられたようで感謝してるのよ」
-こちらこそ、ありがとうございます。 きっとお母様も見守ってくださっていると思いますよ。
政子「ああ、そうそう、うちは古い店やから新聞やテレビの取材も結構あるの。テレビの取材には芸人が来るねんけど、うちに来た芸人は、みな一流になっとんねん。あなたも一流になりはるわ」
-私、芸人じゃないんですけど……
政子「そんな格好(着物に袴)して、誰も普通の人やとは思わへんわ」
-ではまあ、合氣道家の端くれとして、武芸に志す人間ということで……頑張ります。
一人ではとても食べきれないほど、いろんなお菓子をお土産に頂きました。素朴な姿形の饅頭や餅は、どれもたっぷりと重量感があります。なるほどこれが江戸風かと。柔らかなお菓子ですが、質実剛健という言葉が心に浮かびました。本当においしかったです。ありがとうございました。
(構成・文 小田敏夫)
御菓子司 安政堂菓舗
中西政雄さん 87
政子さん 62
政秀さん 60