私の散歩(七) 岡本暮し 小田敏夫

岡本暮し岡本に暮らして今年で二十年になるけれど、初めてこの街を歩いたときの、あの華やいだ、それでいて気取りのない雰囲気を、いまだにはっきりと覚えている。
阪急岡本駅からJR摂津本山駅へ続く坂道は、平日の昼間、行き交う人の多くは女性で、本当にきれいな人が多かった。特に着飾っている風でもなく、ごく普段の格好なのに、どこか品があって、余裕があった。それがとても素敵に見えた。
「神戸は大人の女性がきれいなところ」
以前、私にそう言った人がある。その点、岡本は神戸らしい街のひとつに違いない。
ずっと神戸には住みたいと思っていたが、広島からこちらに来るまでは、岡本の地名すら知らなかった。なのに、この街の空気に触れた瞬間、『ここに住もう』と心に決めた。

最初の六年間は、静かな西岡本に住んだ。下見に行った建物のベランダからは、海に向かって神戸の街が見渡せた。部屋の明るい第一印象で、そこに決めた。
山の裾野に建つ住まいの北には、視界いっぱいに青い空と緑の山並みが広がって、高く築かれた土手の上を、小豆(あずき)色の阪急電車が走るのが見えた。
山手幹線はまだ道路の拡がる前で、そのぶん歩道がとても広かった。特に本山第二小学校と本山中学の前は、大きな木が二重に並ぶ深い緑の並木道になっていて、歩くだけで、閑静な住宅地での豊かな暮しが感じられた。

実際には、当時全くお金のなかった私なのだが、美しい環境のおかげで心にだけは、ゆとりがあった。
平成十二年のある日、岡本一丁目に、グランドピアノを思わせる、背の高い美しい建物を発見した。たぶんそれまでは工事中の覆いが掛かっていて見えなかったのだ。

『絶対ここに住みたい』

それはもう一目惚れと言う他ない。完成後すぐに引っ越して、今に至るまでずっと住み続けている。
あらためて振り返ると、初めて岡本を歩いた日から、全てを直感で決めていた。

成るように成る。それが私の信条である。そもそも全く無一文だった私が、西岡本の広い家に住めたのは、知り合って半年も経たぬ人が、当座のものをボンと用立ててくれたからだ。
今の住まいに移るときは、岡本の喫茶店で出合った人がなにかと手助けしてくれた。その人には、岡本に合氣道教室を開いたときにも、大変お世話になっていた。
引っ越してからは、建物のオーナーの方との御縁で、まちづくりの仕事にも関わることになり、街や人との結びつきは、さらに深まっていった。

『岡本には呼ばれて来た』

台本でもあるかのような出来事の連続に、いつの間にか、そう思うようになった。
人には住むぺき場所があって、私の場合、幸運にもそれが岡本だったのだと思っている。
この原稿に掛かっている最中のこと。外出から戻り、部屋の鍵を取り出すと、それが掌の上で音も無く真っぷたつに割れた。
有り得ようもないことが現実に起きた、その刹那の思いをどう表現したものか……
管理会社が鍵を換えるというので、私の都合で三日後に来てもらった。壊れた鍵のスペアをもう一本くれるのかと思っていたら、錠丸ごとの交換で、全く別の新しい鍵に変わってしまった。

「古い鍵は捨ててください」

そう言われた時、三日間考え続けた壊れた鍵の意味がわかった。
どうやら岡本暮し二十年の節目に、新しい人生が始まるようだ。私が手にしたのは、新生活の扉を開く新しい鍵に違いなかった。

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季刊報 美しい街岡本は、『美しい街岡本協議会』が3ヶ月に1回発行するものです。 『美しい街岡本協議会』は、美しいまちなみや豊かな自然に溢れ、清潔で安心して暮らせるまちづくりを目指して、地域住民と地域で働いている人達で、活動しています。